<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>古本のともしび洞−店主の独白</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/" /><modified>2008-08-18T23:26:07+09:00</modified><tagline>ネット古本店ともしび洞のおやぢが、世迷い言を綴ります。</tagline><generator url="http://jugem.cc/">JUGEM</generator><entry><title>石に布団も着せられず</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1180244" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1180244</id><issued>2008-08-18T23:24:06+09:00</issued><modified>2008-08-18T14:26:08Z</modified><created>2008-08-18T14:24:06Z</created><summary>　本来、神や霊魂や悪魔等の概念は、人間の自然に対する畏敬や恐れの念から生まれたものではないのかと思う。科学が未発達だった時代の人間は、自然の摂理や様々な現象等の自分には合理的に説明出来ない事象について、何らかの解釈を与えないではいられなかった。その解釈...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>人生</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　本来、神や霊魂や悪魔等の概念は、人間の自然に対する畏敬や恐れの念から生まれたものではないのかと思う。科学が未発達だった時代の人間は、自然の摂理や様々な現象等の自分には合理的に説明出来ない事象について、何らかの解釈を与えないではいられなかった。その解釈として使われたのが神であり、霊魂であり、悪魔なのではないのか。<br />
<br />
　たった今まで生命を宿していた筈の近しい者が、全く身動きをしなくなり、その体は固く冷たくなっていく。やがて肉体は腐敗を始め、蛆が沸き、異臭を放つ。自分が愛していた者の肉体が眼の前で醜く変貌を遂げていくことに耐えられなかった人間は、“眼に見える肉体は滅びても、人間の本質である霊魂は不滅なのだ” と信じずにはいられなかったのだろう。<br />
<br />
　自然の摂理や宇宙の法則に畏怖の念を覚えれば、自らの卑小さに思いも至り、自ずと敬虔な気持ちを抱くようにもなる。だが、科学が発達し知識を得た人間は、神や霊魂とは切り離されたものとして自然の摂理を理解するようになった。本来は畏敬の念と一体であった筈の神や霊魂や悪魔は、一部の者にとっては単なる好奇心の対象に堕し、一部の者にとってはビジネスの手段と化し、更に一部の者にとっては現実逃避の具となってしまったのではないのか。<br />
<br />
　この国では、盆の季節に死者の魂が帰ってくると言う。その風習も、死者が帰ってくるのに備えるという大義名分のもとに、日頃離れて暮らしている近しい者たちが一同に集い、死んだ者の話を共通の話題とすることで、身内のコミュニケーションを図ることに意味があるのだと思う。言うなれば、死者を媒介にして、一族が繋がりを確かめ合うということだ。それは、死んだ人間の霊魂と我々の接触なのではなく、死んだ人間が生きていたときに我々と彼 (彼女) がどう関わったか、残れされた者たち同士が今後どう関わっていくのかという、生きていた当時の生きていた者同士の接触の問題であり、残された (生きている) 者同士が死者の思いを胸に今後どう生きてゆくのかの問題なのだ。<br />
<br />
　霊魂が不滅かどうかということや、本当に魂が現世に帰ってくるのかどうかということが問題なのではない。死者を偲び、やがては訪れるであろう自らの死を思い、残された者の心を慮り、残されるであろう人々に心を配る。人智を超えた “生老病死” というものを恐れ、時には毅然と受け入れる覚悟を固めることが人間には必要なのであり、それを自らに説明するための道具立てとしてこそ神や霊魂に意味があるのだと思う。夏の夜のエンターテインメントとしての怪談話のためにあるのではない。<br />
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]]></content></entry><entry><title>死んだら、終い</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1179199" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1179199</id><issued>2008-08-17T21:48:39+09:00</issued><modified>2008-08-17T12:51:22Z</modified><created>2008-08-17T12:48:39Z</created><summary>　亡くなった親父の初盆。法事と墓参りを済ませ、集まった身内で夕食会の席を設けたのだが、そこで誰からともなく、「坊さんに読経をしてもらっている際に、玄関の方で 『ガタッ』 という音がして、一陣の風が通るのを感じた」 という話が出た。音がした時には、誰かが玄...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>人生</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　亡くなった親父の初盆。法事と墓参りを済ませ、集まった身内で夕食会の席を設けたのだが、そこで誰からともなく、「坊さんに読経をしてもらっている際に、玄関の方で 『ガタッ』 という音がして、一陣の風が通るのを感じた」 という話が出た。音がした時には、誰かが玄関に居たわけではない。たちまち周りの者も異口同音に、確かに物音がしただの、何かが自分の脇を通る気配がしただのという話が出て盛り上がる。<br />
<br />
　僅か数ヶ月の差で親父が顔を見ることが出来なかった初曾孫が来ていたから、「きっと初曾孫に会いに帰ってきたのだ」 ということで話が落ち着いた。<br />
<br />
　バカバカしい。死んだ親父が極楽に旅立ったか地獄に堕ちたかは知らないが、もし本当に親父が今日我が家に帰ってきたのだとしたら、十万億土というような遠いところか或いは地の底から現世まで帰ってくるのだ。何故わざわざ一旦我が家の外に現れて、その後 「ガタッ」 という物音を立てて家の中に入ってくるのだ？　自分の家だ。遠慮はいらない。最初から皆が集まって法事をしている部屋に入ってくれば良いではないか。玄関の網戸が閉まっていたから部屋には入れなかったのだというならば、たかだか網戸一枚通り抜けられないようなものが、あの世などという遠いところから現世まで帰って来られるわけがない。<br />
<br />
　ただでさえ “ヘンコ” だと思われている私だ。余計な口を挟んでこれ以上身内から嫌われることもあるまいと思ったから聞き流しておいた。若い頃の私なら猛然と突っ込みを入れたところだろうが、私も随分と丸くなった。<br />
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]]></content></entry><entry><title>今でもＭ下電器産業の愛用者ではありますが・・・</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1175159" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1175159</id><issued>2008-08-13T21:47:59+09:00</issued><modified>2008-08-13T13:24:51Z</modified><created>2008-08-13T12:47:59Z</created><summary>　環境問題というものは、本来、全人類が真正面から取り組むべき喫緊の問題の筈なのだが、何時の間にやらそれが一種のブームのようになってしまった感がある。テレビを見ていても、さまざまな企業が、その実体はともかくとして、如何に環境問題に真剣に取り組んでいるかを...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　環境問題というものは、本来、全人類が真正面から取り組むべき喫緊の問題の筈なのだが、何時の間にやらそれが一種のブームのようになってしまった感がある。テレビを見ていても、さまざまな企業が、その実体はともかくとして、如何に環境問題に真剣に取り組んでいるかをアピールする宣伝が目立つ。<br />
<br />
　その手の CM を見るたびに思い出す某企業のことを書く。今からもう20年くらい前になるだろうか。私は当時、“Ｐソニック” ブランドでお馴染みの Ｍ下電器産業のシェーバーを使っていた。長らく愛用していたそれは、既に充電池が寿命を迎えつつあったようで、充電をしてもすぐに電池が上がってしまうような状態であった。<br />
<br />
　良く言えば “物を大切にする”、悪く言えば “金がないから新しい物を買えない” というタイプの私は、買い換えをせずに充電池だけを交換しようと考え、シェバーを買った時に付いていた取扱説明書に記載された電話番号に電話をしてみた。<br />
<br />
私 「シェーバーの充電池がヘタってきたようなのですが、本体はまだまだ十分に使えそうなので充電池だけ交換したいと思ってるんです。そういったことは可能ですか？」<br />
<br />
Ｍ下電器 「あぁ〜、充電池だけ替えようと思えば替えられないことはないっスけど、止めといた方がいいっスよ」<br />
<br />
私 「何故ですか」<br />
<br />
Ｍ下 「電池以外の部品も悪くなってる可能性もありますから、電池だけ替えてみても使えるようになるかどうか分かんないっスから・・・」<br />
<br />
私 「でも、今は頗る快適に使えてますけど」<br />
<br />
Ｍ下 「お客様が電池がヘタってきてることが原因とお考えの症状も、もしかすると他の部品の不具合が原因かも知れないっスし・・・」<br />
<br />
私 「そうですか・・・。じゃあ買い換えを考えますが、取扱説明書には “充電池のリサイクルにご協力下さい” と書いてありますが、どこへ持って行けば回収してもらえますか？」<br />
<br />
Ｍ下 「あぁ、充電池は本体ごとゴミの日に出して貰っていいっス」<br />
<br />
私 「は？　でも、お宅のマニュアルに “充電池のリサイクルにご協力下さい” と書いてありますよ？」<br />
<br />
Ｍ下 「あぁ、それ、単に書いてあるだけっス。気にしないで、ゴミの日に出しちゃって下さい。ウチでは回収とかしてませんから」<br />
<br />
　当時は、今ほど環境問題に対する意識が高くはなかったかも知れないが、電器製品の取扱説明書に “充電池のリサイクルにご協力下さい” と書くくらいの意識は十分にあった時代である。<br />
<br />
　当時の電話を録音していたわけではないから、名誉毀損で訴えられれば負けるかも知れないけれど、紛れもなく全て真実である。私は今でも、環境問題を声高に訴える企業の CM は手放しで信用する気にはなれない。Ｍ下電器産業の関係者の方、文句があるなら何時でもどうぞ。<br />
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]]></content></entry><entry><title>趣味は広いな　大きいな</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1174613" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1174613</id><issued>2008-08-12T23:14:26+09:00</issued><modified>2008-08-12T15:16:17Z</modified><created>2008-08-12T14:14:26Z</created><summary>　ここのところ毎日、マスコミはオリンピックの話題で大はしゃぎである。

　オリンピックや “何とか世界大会” の類が開かれる度にいつも頭に浮かぶのは、「日本にこの競技のファンがこんなにいたのか？」 という思いだ。世界水泳があると、これまで水泳の話なんかした...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　ここのところ毎日、マスコミはオリンピックの話題で大はしゃぎである。<br />
<br />
　オリンピックや “何とか世界大会” の類が開かれる度にいつも頭に浮かぶのは、「日本にこの競技のファンがこんなにいたのか？」 という思いだ。世界水泳があると、これまで水泳の話なんかしたこともないような人間が寄っては水泳の話で盛り上がっているし、国際陸上があれば、陸上競技を知っているとも思えない輩がレース結果や各国代表の選手について蘊蓄を傾けていたりする。<br />
<br />
　彼らは単に野次馬根性が旺盛なだけだというのは捻くれた見方で、きっと世間の人たちは趣味や興味の対象が広いのだろう。<br />
<br />
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]]></content></entry><entry><title>ウチら陽気な “やかまし娘”</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1173714" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1173714</id><issued>2008-08-11T23:38:13+09:00</issued><modified>2008-08-11T14:43:08Z</modified><created>2008-08-11T14:38:13Z</created><summary>　asahi.com によると、太田農水相が 「10日のＮＨＫの番組で、中国製の冷凍ギョーザ中毒事件を受けた食の安全対策について 『消費者、国民がやかましいから徹底していく』 と発言」 したことに関連して、「当の農水相は11日、『自由主義社会は、消費者が堂々と権利を主張...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>ニュース</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　asahi.com によると、太田農水相が 「10日のＮＨＫの番組で、中国製の冷凍ギョーザ中毒事件を受けた食の安全対策について 『消費者、国民がやかましいから徹底していく』 と発言」 したことに関連して、「当の農水相は11日、『自由主義社会は、消費者が堂々と権利を主張し、安全性にモノを言う社会。それがいいことだと言った』 と釈明した」 とのこと。<br />
<br />
　そもそも 「消費者、国民がやかましいから」 という発言をすること自体、彼の知性を疑わざるを得ないが、それに対して 「自由主義社会は、消費者が堂々と権利を主張し、安全性にモノを言う社会。それがいいことだと言った」 という発言が言い訳として通ると思っているその感性が信じられない。<br />
<br />
　「やかましい」 という言葉には、多かれ少なかれ “不快感” が含まれている。単に音や声が大きいことを表す場合には、この言葉は使わない。ましてや、それを肯定的に捉えている場合にはなおのことである。ロック・ミュージックの好きな若者が大音量で好きな CD を聞いた時には、「迫力があって良かった」 とは言っても、「やかましくて良かった」 とは絶対に言わないのだ。「やかましい」 と言うのは、隣の部屋でウンザリしていた親の方である。<br />
<br />
　太田農水相が 「消費者、国民がやかましいから」 という文章で “消費者が堂々と権利を主張することがいいことだ” という意味を表現出来ると本気で考えていたのだとすれば、彼はもう一度小学校で日本語を勉強しなおす必要があるし、こじつけの言い訳をしただけなら、そのセンスを疑われても仕方があるまい。ここで言う “センス” とは、釈明として良く出来ているかどうかを判断するセンスだけでなく、自分の釈明が 「実は、私は内心、国民を嘗めてるんです」 とポロリと言ってしまったのと同じなのだということに気がつかない “政治家としてのセンス” のことでもある。<br />
<br />
　「主権者の発言を “やかましい” と感じるような政治家は要らない」 とやかましく言い続けようではないか。<br />
<br />
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]]></content></entry><entry><title>倫理ん　乱々</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1171968" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1171968</id><issued>2008-08-09T22:26:34+09:00</issued><modified>2008-08-09T13:29:29Z</modified><created>2008-08-09T13:26:34Z</created><summary>　ある集団が自らを律するものてして “倫理規定” を設けるということは、その集団内部に倫理に反する行動をしている者がいることを自白しているようなものだ。誰もが倫理的な存在であるのなら、そもそも規定で縛る必要はない。

　あるゆる集団は社会の縮図である。人間...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　ある集団が自らを律するものてして “倫理規定” を設けるということは、その集団内部に倫理に反する行動をしている者がいることを自白しているようなものだ。誰もが倫理的な存在であるのなら、そもそも規定で縛る必要はない。<br />
<br />
　あるゆる集団は社会の縮図である。人間が集団で社会を構成すれば、その中には人格高邁なる者もいれば、ゲスもいる。社会がそうであれば、その中に含まれる小集団も同じだ。例えば教師とか医師とかいった一般的に “聖職” と呼ばれるような集団の中にも、一般社会とほとんど同じ比率で人格高邁な者やゲスが存在する。であれば、どんな社会の中にも必ず反倫理的な行為をする者がいるのが当然なのだ。これを防ぐ手段など存在しない。もしそんなものがあるとすれば、人類はとうの昔にユートピアを築き上げている。<br />
<br />
　ある集団が倫理規定を制定するのは、彼らが倫理的でありたいためではない。単に “免罪符” が欲しいだけなのだ。自らが倫理的であろうとするのであれば、それは個々人の人格陶冶という自発的な手段に待つしかない。馬を無理矢理水辺まで引っ張って行くことは出来ても、無理矢理水を飲ませることは出来ないのだ。<br />
<br />
　“免罪符” を振りかざして “倫理的” であることを声高に叫ぶような者たちは、疑ってかかることだ。何故なら、彼らは表面を覆って内実を覆い隠そうとしているからだ。そんなことを企む奴らは、どうせロクなものではない。<br />
<br />
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]]></content></entry><entry><title>倫理違反よりは全体主義の方が恐ろしい</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1171353" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1171353</id><issued>2008-08-08T23:52:51+09:00</issued><modified>2008-08-09T02:57:20Z</modified><created>2008-08-08T14:52:51Z</created><summary>　大辞林で “倫理” を引くと、「人として守るべき道。道徳。モラル」 とあり、更に “道徳” を当たってみると 「ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くも...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　大辞林で “倫理” を引くと、「人として守るべき道。道徳。モラル」 とあり、更に “道徳” を当たってみると 「ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをい (う) 」 とある。<br />
<br />
　倫理、即ち道徳が個々人の内面的原理として働くものであるならば、これを外的に強制する “倫理規定” は、そもそも形容矛盾だ。規定によって強制的に遵守させようという時点で既に “倫理” と呼べるものではなくなっている。<br />
<br />
　一つの社会の中で大まかなコンセンサスはあるにしても、個人によってものの考え方や価値観が異なる以上、“善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範” たる道徳は人によって少しずつでも違ったものになるのが当然だ。その本来人によって異なるべき筈のものを、権力者 (必ずしも国家の権力者だけとは限らない) が一律に “倫理規定”で縛ろうとするのは、もはやファッショ以外のなにものでもない。<br />
<br />
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]]></content></entry><entry><title>ユニットバス</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1168350" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1168350</id><issued>2008-08-06T21:49:44+09:00</issued><modified>2008-08-06T12:53:34Z</modified><created>2008-08-06T12:49:44Z</created><summary>　滲みまっせぇ〜。






</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>音楽</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　滲みまっせぇ〜。<br />
<br />
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/_fk7fKNxvus&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/_fk7fKNxvus&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br />
<br />
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<img src="images/shelfbanner.png" width="88" height="31" alt="" class="pict" /></A>]]></content></entry><entry><title>原爆とサリン</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1167808" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1167808</id><issued>2008-08-05T23:50:06+09:00</issued><modified>2008-08-05T14:51:55Z</modified><created>2008-08-05T14:50:06Z</created><summary>　毎日jp によると、「94年６月に発生した 『松本サリン事件』 の被害者で、事件の第１通報者である河野義行さんの妻澄子さんが５日午前３時４分、入院先の松本協立病院で、サリン中毒による低酸素脳症に伴う呼吸不全のため死亡した」 とのこと。

　明日は、広島原爆忌...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>ニュース</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　毎日jp によると、「94年６月に発生した 『松本サリン事件』 の被害者で、事件の第１通報者である河野義行さんの妻澄子さんが５日午前３時４分、入院先の松本協立病院で、サリン中毒による低酸素脳症に伴う呼吸不全のため死亡した」 とのこと。<br />
<br />
　明日は、広島原爆忌 ( 「原爆の日」 とは敢えて言わない)。人間が、その繁栄と幸福のために作り出した筈の科学技術のために、多くの人が犠牲になった。戦争を始めた理由については、いろいろな解釈が可能だろうと思う。いずれにしても、時の各国の権力者たちと彼らを支える Majority の意思がそれを始めたことに間違いはなかろう。我々の一人一人が、原爆で、過日の戦争で、死んだ人たちに対して責任があるのだ。権力者たちは、直接に戦争の引き金を引いたことに対して。国民は、それを積極、消極に支えてきたことに対して。たとえ心の中で反対したのだとしても、当時の時代背景からして戦争に反対する声を上げることが困難であったとしても、それは何の言い訳にもならない。<br />
<br />
　直接に戦争の引き金を引いた権力者たちも、その当時の状況から判断して、国家のために、国民のためにそれが最前の策、与えられた選択肢の中では “最良の道” だと信じて行動したのだろうと思う。だが、国家の行く末を想い、国民の幸福を願って選んだ筈の道は、結果的に地獄に通じるものであった。それは、“松本サリン事件” についても同じなのではないのか。<br />
<br />
　松本智津夫という一人の権力者と、彼をささえる (教団内での) Majority たち。我々には理解不能ではあっても、彼らは彼らなりに、何らかの “理想” を目指して、“最良の道” を選択したのではないのか。<br />
<br />
　オウムを狂気と断罪することは容易い。だが、僅か半世紀ほど前の我々の社会とオウムに一体何ほどの違いがあるのか。現在のこの社会はどうだ。権力者も国民一人一人も、理想を描き、幸福を追求している。その目指そうとしているものを否定するものは誰もいないだろう。だが、個々の人間の思惑とは裏腹に、その選択した道が結果的に地獄につながる恐れはないのだろうか。我々は既に地獄への道を歩み始めてはいないだろうか。<br />
<br />
　河野澄子さんの御冥福をお祈り致します。合掌。<br />
<br />
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<img src="images/shelfbanner.png" width="88" height="31" alt="" class="pict" /></A>]]></content></entry><entry><title>青春時代が夢なんて　後からほのぼの想うもの</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1166199" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1166199</id><issued>2008-08-03T22:57:20+09:00</issued><modified>2008-08-03T14:12:27Z</modified><created>2008-08-03T13:57:20Z</created><summary>　部屋の片づけをした。古い段ボール箱から大学の卒業証書が出てきた。裏に 「同窓会寄贈」 と金文字で印字されたフォルダに挟まれた何やら値打ちありげに見える和紙の証書だった。

　一瞬どうしようかと躊躇したが、すぐに破って捨ててしまった。フォルダも、そのまま...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>人生</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　部屋の片づけをした。古い段ボール箱から大学の卒業証書が出てきた。裏に 「同窓会寄贈」 と金文字で印字されたフォルダに挟まれた何やら値打ちありげに見える和紙の証書だった。<br />
<br />
　一瞬どうしようかと躊躇したが、すぐに破って捨ててしまった。フォルダも、そのままゴミ袋行きだ。何の未練もない。<br />
<br />
　そもそも卒業式に出なかったから、この証書も、卒業してから数ヶ月後に学生課から電話で 「卒業証書を預かってますけど、取りに来てもらえませんか」 と電話で催促をされたものだ。向こうも迷惑だったことだろう。<br />
<br />
　大学の４年生が終わろうとする頃、私はアルバイトをしていた。いわゆる “リクルート活動” というものを全くやらずにいたので、就職は決まっていなかった (何故リクルート活動をしなかったのかを書き始めると長くなるので、それは別の機会に)。学生時代のアルバイトの続きをそのままやっていたのだ。<br />
<br />
　卒業式の前日、バイト先には一応 「明日卒業式なので、休ませてください」 と届けてはいた。式の当日の朝、目が覚めると、窓の外で雨の降る音がする。時計を見ると、急がないと式に間に合わない時間であった。雨で足下の悪い中、急いで学校まで行くのが億劫になってきた私は、再び眠りに戻ることにした。<br />
<br />
　学生課から卒業証書を取りに来るように電話をもらった後も、そんなもののためにわざわざ学校まで出かけて行く気がしない。誰に頼んだのか忘れてしまったが、後輩だったか留年した同級生だったかに、「学生課から貰っておいてくれ」 と頼んだ記憶がある。その後、何かの機会に、その後輩だか同級生だかから証書を受け取った。<br />
<br />
　卒業証書を破り捨てても自分は全く構わないのだが、もしかすると私はまたも “親不孝” をしてしまったのだろうか。それが少しばかり心に引っかかる。「証書を破ることが何故親不孝になるのか」 だって？　そんなことは自分で考えてくれ。<br />
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<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/YAPy1vj8ldU&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/YAPy1vj8ldU&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br />
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<img src="images/shelfbanner.png" width="88" height="31" alt="" class="pict" /></A>]]></content></entry><entry><title>倫理違反よりは全体主義の方が恐ろしい</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1171352" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1171352</id><issued>2008-07-31T00:14:10+09:00</issued><modified>2008-08-08T15:22:14Z</modified><created>2008-07-30T15:14:10Z</created><summary>　大辞林で “倫理” を引くと、「人として守るべき道。道徳。モラル」 とあり、更に “道徳” を当たってみると 「ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くも...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　大辞林で “倫理” を引くと、「人として守るべき道。道徳。モラル」 とあり、更に “道徳” を当たってみると 「ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをい (う) 」 とある。<br />
<br />
　倫理、即ち道徳が個々人の内面的原理として働くものであるならば、これを外的に強制する “倫理規定” は、そもそも形容矛盾だ。規定によって強制的に遵守させようという時点で既に “倫理” と呼べるものではなくなっている。<br />
<br />
　一つの社会の中で大まかなコンセンサスはあったにしても、個人によってものの考え方や価値観が異なる以上、“善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範” たる道徳は人によって少しずつでも違ったものになるのが当然だ。その本来人によって異なるべき筈のものを、権力者 (必ずしも国家の権力者だけとは限らない) が一律に “倫理規定”で縛ろうとするのは、もはやファッショ以外のなにものでもない。<br />
<br />
　“倫理”、“道徳” などという耳障りの良い言葉の裏に潜むファッショを見過ごしてはならない。<br />
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<br />
　電話の店員は一向に終わりそうもないし、客と話している方は他の客のことなど眼中にもない。しばらく待ってみたが埒があかないし、急ぐ用でもないので、目当てのものを買わずに店を出た。<br />
<br />
　二人とも、私が何かを探していること自体には気がついているのだ。ただ一言 「しばらくお待ちください」 と声をかければ売り上げに結びついたものを、みすみす客を逃してしまっている。誰も、先客や電話より私の方を優先しろなどと言っているのではない。話しかけている客に何の応答もしない無神経さが問題なのだ。<br />
<br />
　学生のころに某百貨店でアルバイトをした。当時神戸で一番流行っていた店だったから、土日や祝日になると目が回るほどに忙しい。正規従業員の先輩や上司からは 「一度に２人、３人の客の相手をしろ」 と教えられた。世間知らずのガキではあったけれど、キャリアを積むうちにその術を覚えたつもりだ。学生アルバイトにでも出来るようなことを出来ないプロの店員たち。<br />
<br />
　そのドラッグ・ストアを出てから、近くのコンビニに寄った。「80円の切手を４枚下さい」 と言うと、若い女性の店員は、切手を入れてあるクリア・ファイルを出してきて、その中から80円切手のシートを出し、４枚を切り取り始めた。わずか４枚を切り取るだけなのに、ミシン目に沿って切ることが出来ない。４枚のうちの１枚は角が欠け、さらにもう１枚は余計な部分が付いている。切り取った隣の切手に食い込んで破れてしまったものがくっついているのだ。<br />
<br />
　余計なものがついているのは切り取れば良いが (食い込まれた方の切手をどうするのかという問題は残るが)、角が欠けているものは、ちゃんと通用するかどうか不安だ。「これ、大丈夫？」 と聞くと、女性店員は 「はい」 と言う。こんな無責任な返事はない。「アンタは郵便局員か !?」 と聞きたくなる。大丈夫かどうか、彼女に判断出来るわけがないのだ。<br />
<br />
　「嫌だから、別のと代えて」 と言うと、再度クリア・ファイルを開いたのだが、その中には、「販売に使用禁止」 と書かれたページがあり、無惨に一部が破れた切手が何枚も収納されていた。まともに切手を切り取ることが出来ないのは、なにも今回が初めてのことではないようだ。<br />
<br />
　交換するために、80円切手のシートからもう１枚を切り取るのに、今度は、隣の切手を真っ二つに破ってしまった。切り取ろうとしている切手ではなく、隣の切手である。何故そんなことになるのか全く理解に苦しむ。結局、彼女は、４枚の切手を切り取るのに、他の３枚の切手を反故にしてしまったのだ。<br />
<br />
　自分の娘だったとしてもおかしくないくらいの年齢の女性だったので、親心のつもりで、「いきなり切り離そうとせずに、ミシン目に沿って何度か折り目をつけてから切ればそんなことにならないのに・・・」 と言うと、むくれて返事もしない。<br />
<br />
　切手を切り離すことに失敗したこと自体は仕方がないと思う。自分が出来ないことを、客に、それも目上の人間に遣り方を教えてもらって、ふて腐れることが問題なのだ。「ミシン目に沿って何度か折り目をつけて・・・」 と言われたことに対して、一言 「はい」 と言えば可愛げがあるものを、と思う。<br />
<br />
　こんな店員たちに給料を払って店をやっていく経営者たちの苦労が忍ばれる。<br />
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　画面最上段左側にその日の日付と曜日、同じく最上段右側に現在時刻が出る。例えば今日の午後11時に画面を見れば、「7/28 〔月〕　23：00」 といった...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　先頃買ったばかりの携帯電話がヘンだ。待ち受け画面をカレンダーに設定しているのだが、その日付がたまにズレる。<br />
<br />
　画面最上段左側にその日の日付と曜日、同じく最上段右側に現在時刻が出る。例えば今日の午後11時に画面を見れば、「7/28 〔月〕　23：00」 といった案配だ。<br />
<br />
　その少し下、画面のほぼ中央あたりには今月のカレンダーが１月分出ており、当日のところには青い枠が表示される。今日なら 「28」 が青い枠に囲まれていることになる。<br />
<br />
　ところがどういうワケか、時々、最上段左側の日付は合っているのにカレンダーの青枠が前日のままということがある。<br />
<br />
　以前にも何回かそういうことがあったのだが、いつの間にか正常に戻っていたので、気になりつつも放置していた。今日また同じ現象が現れたので (画面最上段左側の日付は「7/28 〔月〕 」 となっているのに、カレンダー内の当日を示す青枠は27日のところにある)、ドコモの故障問い合わせ窓口に電話をかけてみた。<br />
<br />
　呼び出し音のあとに聞こえてきた若い男性の声を聞いた瞬間、「アカン、“はずれ” や・・・」 と思った。声のトーンからして、明らかに頼りなさそうなのが分かる。こちらが現象を説明すると、「その２つの日付は、通常はズレない筈なんですがぁ・・・」 などとほざいている。そんなことは、教えてもらわなくても子供にでも分かる。通常はズレないものがズレているからこそ、故障問い合わせ窓口に電話をしているのではないか！<br />
<br />
　「少しお待ち頂いていいっスかぁ」 とあほ声で曰って何度も電話を保留にし、さんざん人を待たせた挙げ句、「そうっスねぇ・・・。やっぱり、その２つの日付は普通は同じ日になります・・・」 などと言っている。こらアカンわ・・・。<br />
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監督、製作 ： ハワード・ホークス
キャスト ： ジョン・ウェイン
　　　　　　ディーン・マーティン　ほか

　YouTube で久しぶりに見るまでは、“My Rifle, Pony and Me” が流れるこのシーンは、焚き火の前でディーン・マーティンがギターを弾き...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>場末の名画座</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[1959年アメリカ映画<br />
監督、製作 ： ハワード・ホークス<br />
キャスト ： ジョン・ウェイン<br />
　　　　　　ディーン・マーティン　ほか<br />
<br />
　YouTube で久しぶりに見るまでは、“My Rifle, Pony and Me” が流れるこのシーンは、焚き火の前でディーン・マーティンがギターを弾きながら歌うのだとばかり思っていた。人間の記憶とはいい加減なものである。それにしてもディーン・マーティンの甘い歌声は、心に滲みる。<br />
<br />
　日本でチャンバラ映画がマイナーになってしまったように、アメリカでも西部劇は過去のものになってしまったのかも知れない。「ソルジャー・ブルー」 で、それまでの西部劇が否定されてしまったような感はあるが、それでもやはり “娯楽映画” としての  Western には魅力を感じる。<br />
<br />
　もう、西部劇の新作を見ることは出来ないのだろうか。<br />
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<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/l2OHR0F5GIo&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/l2OHR0F5GIo&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br />
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<img src="images/shelfbanner.png" width="88" height="31" alt="" class="pict" /></A>]]></content></entry><entry><title>尻拭い</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1156061" /><id>http://blog.tomoshi-bi.com/?eid=1156061</id><issued>2008-07-26T20:57:11+09:00</issued><modified>2008-07-26T11:57:51Z</modified><created>2008-07-26T11:57:11Z</created><summary>　夏と言えば “草いきれ” を思い浮かべるのだが、現実にはそれを体験することがなくなって久しい。もしかすると、今の若い人たちにはこの言葉の意味さえ通じなくなってしまっているのではないかと思う。

　近頃の海は潮の香りがしない。私が子供だった頃は、海が見えな...</summary><author><name>古本のともしび洞</name></author><dc:subject>その他</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　夏と言えば “草いきれ” を思い浮かべるのだが、現実にはそれを体験することがなくなって久しい。もしかすると、今の若い人たちにはこの言葉の意味さえ通じなくなってしまっているのではないかと思う。<br />
<br />
　近頃の海は潮の香りがしない。私が子供だった頃は、海が見えなくとも嗅覚だけで海岸が近くなってきたことが分かったものだ。<br />
<br />
　草の匂いも潮の香りも汗臭さも感じず、快適に空調の効いた部屋で過ごす夏。排便後の尻を機械に洗ってもらうようになった人間は、もはや “動物” であることを止めてしまったのかも知れない。<br />
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